2020年2月14日(日本時間15日)に開幕したオールスター・ウィークエンドで「ライジング・スターズ・チャレンジ」に若手オールスターの一員としてNBAウィザーズで活躍中の八村塁選手(22)が日本人で初めて出場しました。
八村塁選手はオールスター・ウィークエンドという大舞台で、14得点7リバウンド5アシスト3スティールという活躍をし、大きな存在感を発揮しました。
まだ若い22歳のルーキーに対して、NBAのスーパースターたちも八村選手のプレイを絶賛しています。
バスケ界の「キング」といわれるレイカーズの「レブロン・ジェームズ」は、「彼は本当に才能に溢れた選手だ。背が高い、強い、ゲームに対する感覚も良いものを持っている。そして、とても落ち着いている」と評価しており、これからますます注目度が増すことでしょう!
そんなNBAで大活躍の八村塁選手を育てた家族や恩師をまとめました。
昨日のライジング スターズ チャレンジの全米中継で我々ウィザーズの日本語ツイッターが話題になりました!!いつもリツイート、いいね、コメントありがとうございます!フォロワーの皆さまのおかげです。引き続き八村塁選手の応援よろしくお願いいたします!#repthedistrict pic.twitter.com/eg8gVUxRen
— ワシントン・ウィザーズ (@washwizardsjp) February 16, 2020
【目次】
八村塁の6人家族はみな優秀?
八村塁選手の家族構成は、6人家族で、アフリカのベナン共和国出身の父親・日本人の母親・4人兄弟です。
ベナン人と日本人のハーフで、長男である八村塁選手だけでなく、弟の八村阿蓮(はちむらあれん)さんと妹の八村安美菜(はちむらあみな)もバスケットボールをしています。
母親の麻紀子さんの職業は英会話スクールの講師・小学校の外国語講師をしており、富山県出身の日本人です。
特に八村選手に英語を教えていたわけではなく、NBA渡米後に英語を猛勉強したそうですが、小さいころから様々な言葉を耳にしていたと思うのでそこも今の八村塁選手の成長に繋がっていきそうです。
【父親】ザカリ・ジャビルさんは7か国語を話す超秀才!
アフリカのベナン共和国出身の父親「ザカリ・ジャビル」さんは、大の日本好きが高じて来日を決意し、日本に来た3番目のベナン人となりました。
学業が優秀で、奨学金でエジプトのカイロ大学で学び、公用語のフランス語だけでなく7か国語も話すことのできる秀才だそうです。
また、2016年1月21日に放送された「NEWS23」(TBS系)の番組内では、以前はバスケ選手であった事を話されています。
ただ八村選手にバスケをしろと言ったことはなく、背が高いのでなにかスポーツをしてほしかっただけというから驚きです。
八村塁選手には「自信を持ったら、なんでもできる!」と言い続けていたようです。
それが今の八村選手の活躍に繋がったのかもしれません。
📸 #八村塁 選手が #NBAドラフト で着ていたスーツのジャケットの裏地は、右側が母と自らの母国である日本🇯🇵、左側が父の母国ベナン🇧🇯をイメージしたものだそう。2つの国の血をひく自らの出自を大切にする八村選手の思いが、この晴れ姿に表れています👏 #NBADraft #NBA #NBAjp #RuiHachimura pic.twitter.com/VgdHNSjguM
— NBA Japan (@NBAJPN) June 21, 2019
【弟】八村阿蓮は東海大のインカレ優勝!
八村選手の弟は、八村阿蓮(はちむらあれん)さんといい、兄と同じくバスケットボールをしています。
出身校である「明成高等学校」のバスケ部では、2年ぶり5度目のウインターカップ優勝に導いたエースとして活躍されていました。
また現在は、「東海大学体育学部競技スポーツ学科」に進学し、東海大学をインカレ優勝に導き、大会では優秀選手に選ばれています。
身長は198cm、体重は98kgで20歳です。
大学ではトレーニングに力を入れ、体重を10kg増やし「ジャンプ力がついて、ダンクシュートが余裕でできるようになりました」と成長を見せています。
兄と共にNBAで活躍する日も近いのではと期待が高まります!
— 八村 阿蓮 (@allen_hachi) December 18, 2018
本人の性格とは?
八村塁選手は、友人から「陽気な性格」と言われており、バスケの話はあまりせず、ゲームをしたり、バカな話をするような普通の明るい性格だそうです。
ただ、八村選手の特徴は「オン」「オフ」の切り替えがはっきりしているところだそうで、バスケットコートに入った途端別人のようになるそうです。
八村を育成した2人の恩師とは?
地元奥田中学バスケットボール部顧問 坂本穣治コーチ
八村選手は、小学校時代「陸上」と「野球」をしており、プロ野球選手のイチロー選手に憧れていましたが、小学校6年生でケガをしてしまい、野球を続けようか悩んでいたそうです。
そして、地元奥田中学に入学し、小学生の時点で抜群の身体能力で有名だった八村塁選手のことを密かに狙っていた奥田中学のバスケ部顧問の坂本穣治コーチが、バスケ部へ来るよう八村選手の友人たちに声をかけて、ここからバスケットボール人生が始まりました。
中学校からバスケットボールを始めた八村塁選手は、さすがに初めから試合に出ていたわけではなく、誰よりも早く練習に来て努力していたそうで、中学2年生で試合に出られるようになったそうです。
ここでバスケ部に入っていなかったら、今のNBAで輝く八村選手は見れなかったと思うと本当に「恩師」と呼べる方ですね。
日本出身選手史上初めて、NBAドラフトで上位指名された八村塁選手。指名後の会見で、中学時代の恩師である坂本穣治コーチに「坂本コーチやりました。NBA行きました」というメッセージを送りました。 pic.twitter.com/nVfxSrEnPu
— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア / 世界各国に広がるニュースサイト (@HuffPostJapan) June 21, 2019
明成高校 佐藤久夫コーチ
「高校3年間は世界に羽ばたく準備期間だった」と話すのは、明成高校佐藤久夫コーチです。
バスケの技術だけでなく、「将来どうなりたくて、今練習するのか」を問い続けた佐藤コーチは、今の八村選手の”心”の育成をした恩師です。
NBAで活躍するにはどんな選手になればよいのかを問い、「マジック・ジョンソン(レイカーズの名選手)」のような選手になれと具体的なイメージを持たせ、DVDを渡し、マジック・ジョンソンのプレーを見せ続けたそうです。
今のNBAという大舞台でも冷静な判断で活躍し続けられるのは、この”心”の育成のおかげなのだと思いました。
八村塁選手の恩師、明成高校の佐藤久夫コーチに、八村選手を育成した3年間についてインタビューしました。全3回のロングインタビューです。現在、第1回と2回目がアップされています。https://t.co/YLhc1dc3jJ
— 小永吉陽子 Yoko Takeda (@y_takefield) July 5, 2019
これからますます目が離せない八村選手に期待して追いかけていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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